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ラ・ラ・ランドを見ました

日本で初めてプレミアムフライデーが試験的に実施された日と同時に、ラ・ラ・ランドという映画が公開されました。それから一ヶ月経過してもなお心を掴んで離さない映画、ラ・ラ・ランドについて思ったことをつらつらと書いていこうと思います。ネタバレもします。

https://youtu.be/uQ7aNUxvDv8

さて、私はミュージカル映画がとても好きです。能の経験も助長しているのか、人間とは喜びや哀しみを歌い上げ、心が舞い上がるときは踊り出すものだという直感が根底にあります。
そんな個人的な背景もありつつ、このラ・ラ・ランドは心の琴線に非常に訴えかけてくるたまらない映画でありました。

初めて観たとき、まず初めに思ったことは、この映画の「夢」とは叶えるべき目標という意味ではないということです。夢をそのように理解し、この映画を人生の目標を叶えるための原動力となることを期待して見るとえらいことになると思います。では、ラ・ラ・ランドにおける夢とは一体何か。
わたしの中でこの「夢」と結び付いたのが、「この世界の片隅に」で主人公・すずさんの夫が放った、「過ぎた事、選ばんかった道、みな、覚めた夢とかわりやせんな。」という一言です。
この、実現されることのなかった可能性が放つ郷愁が、映画全体を包み込んでいる胸が狂おしくなるほどの切なさとしっとりとした雰囲気の正体でもあるでしょう。

この郷愁はまた、これまでのハリウッドミュージカルへの懐かしさでもあると思います。
随所に見られるハリウッドミュージカルのオマージュ、かつて映画館で鳴り響き観客の胸を踊らせたであろうタップダンスの音。
昨今のブロードウェイやイギリス発のミュージカルに圧されつつつあるハリウッドミュージカルにとって、この映画は過去の象徴であり、また若き天才たちの挑戦を斬新なカメラワークによって捉えられ、見事に花開いた新たな可能性であると感じました。
(ブロードウェイミュージカルのRENTでも、ロイドウェバー作のミュージカルが一人勝ちする状況を疎む描写がありましたが………。しかしロイドウェーバーが圧倒的な才能すぎるので仕方ないし、わたしはどれも好きです)
このような物語がロサンゼルスの定番デートスポットで繰り広げられるというのですから、アメリカの人々のこの映画に対するいとおしみは並並ならぬものでしょう。
わたしはアメリカ人ではないので、そのレベルの感情移入がちょっと羨ましいような、ずるいような、そんな気がします。

選ばなかった道、ハリウッドミュージカル映画への懐古といった点が、鑑賞前に描いた明るいイメージとは異なる印象を抱かせている。それがまたこの映画の評価を二分している原因でもあると思います。
重ねて主張しますが、ラ・ラ・ランドの「夢追い人」とは、目標に向かって一心に努力できる人々のことではありません。
ミアは女優になりたいけれど、どこか積極性にかけ、目標を叶えるためならやりたくないこともやる泥臭さはありません。共に過ごせない寂しさを割りきることもできず、セブの成功に気後れしてる様子もみられます。
セブもまた、ジャズを様々な人々に聞いてもらうためのアイデアをはね除け、自分だけの立派に凝り固まってしまった理想に固執し、柔軟さがないがゆえに理想と現状の狭間に苦しむ男です。ポピュラーな曲でまず己に関心を持たせ、そこから自分が本当にみせたいものに導入させていくのは王道の手段です。恐らくセブは意図せずそのコースに進むことができましたが、頑なな意思に己を見失いミアの愛情を軽視する発言もしてしまいます。
夢だけをむしゃらに、ストイックに追い求めることができたらどんなにいいでしょうか。寂しさも自分を見失う焦燥もすれ違うもどかしさも、すべて目標の達成につながっていると疑いもなく信じられたらどんなにいいでしょう。
恋愛にかまけずオーディションまでに作品をリサーチしたり、自分の活動は目標達成の第一段階だと先を見据えることができたなら。数々の挫折を乗り越えられたなら。お互いの忙しさを成功の証だと喜び、特等席に彼がいなくても気にしない心の強さがあれば、国が離れても心を交わし、未来でも一緒にいられたのでしょうか。
彼らにはできませんでした。目標だけ追えられればそれだけでいいのに、そうはできず傷つけあい、それでも懲りずに夢を見る愚かな人々です。夢を叶えることはできました。満足しているはずなのに、これでいいはずなのに、それでももうありえないだろう「if」を考えずにはいられない。
もしあの時、あそこにいることができたなら。もしあの時人の誘いに乗らなければ。もしも一緒に、パリまで飛び出すことができたなら。たった一回のキスで変わっていたかもしれない未来を、激流のように溢れる無限のifを、未練がましくも考えずにはいられないのは愚かしいことかもしれません。でもそれこそがおそらく、他人を求めた傷であると同時に、人を愛したということの証なのだと思います。
宇多田ヒカルのpassionにあるように、「私たちにできなかったことをとても懐かしく思う」という言葉がありますが、これもラ・ラ・ランド最後の10分に覚える強烈な郷愁に非常によく繋がる言葉だと感じました。色々と勝手に関連付けて申し訳ない。
恋焦がれた未来だからこそ哀しく、いとおしく懐かしい。でも懸命に生きてたら残骸はきっといつか輝き、誰にも知られない自分だけの輝く種になる。
それはミアとセブの二人だけに限りません。若者が寄り付きにくくなったジャズ、ハリウッドミュージカルの栄光と不遇の時代を経、数々のオマージュを取り入れたラ・ラ・ランド。今でこそ懐古の象徴のように見えますが、斬新な手法とレトロさの天才的なバランスで作り上げられたこの映画は、必ず新たな誰かの道標となり、人々に長く愛され欠かさぬ存在になることを確信しています。
私が幼い頃、名作劇場で見た雨に唄えばのように、サウンドオブミュージックのように、これから生まれてくる世代に多くの感銘を与えてくれるでしょう。
その誕生の瞬間を見ることができたことへの喜び、生きることへの喜びは止むことはなく、この作品が長らく人々に愛されることを願ってやみません。
未来へのときめきと共に、冒頭で歌われるanother day of the sun、特に「And someday as I sing my song,.A small-town kid'll come along. That'll be the thing to push him on and go go」これはつくづくこの作品をよく表していると、ただ感心するばかりであります。