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無限師匠のフィギュアを買った

何らひねりのない、タイトルの通りの近況報告である。


https://m.intl.taobao.com/detail/detail.html?id=631528042541

https://m.weibo.cn/detail/4569790280373878

無限師匠のフィギュアを買った。中国大陸からだ。
なぜ中国大陸なのか?無限師匠はいま話題沸騰の中国アニメ、羅小黒戦記という映画に出てくる美しい男だからだ。
umegasu73.hateblo.jp(これまでのあらすじ)


そんな美しい無限師匠が、中国でクラウドファンディングを経て、お目出度いことに一般発売したというのだ。秒でカードを切った。発送通知が来ると、日中は三時間に一回は追跡サイトを見た。完全にノイローゼであったが、とにかくわたしは無限師匠のフィギュアを買った。待ちに待ちに待った無限師匠のフィギュアが、2日前に届いたのである。



少し待って頂きたい。おかしな事態にお気付き頂けただろうか。






あり得ないくらい美しいのだ。




御年400歳とも思えぬ絹肌、ほんのり色付くチークを見てほしい。世が世ならディズニープリンセス、なよ竹の無限師匠である。




手が勝手に花を添えた。あまりに美しかったからだ。




剣の代わりに花を差した。無限師匠くらい美しければ花が勝手に引き寄せられるからである。




使えもしない一眼レフで写真を撮った。キモオタクだからだ。




小黒を乗せた。一生一緒にいてほしいからだ。




こうべに花を差した。人間は美しいものを見たら自然とそうする生き物だと知った。




春風、感じただろうか。男体フィギュアと思えない華やかさである。無限師匠は美しいからだ。




なんとなく後ろに名画を添えてみた。黄金のオーラを我が物にしている。絵画の延長線だ。

人間のみならず、フィギュアに対しても挙動不審になってしまった。それもこれも無限師匠の美しさのせいなのか、混乱してる頭ではもう何もわからなくなっている。
また、無限師匠のフィギュアが届いてから2日間、飾られている無限師匠を見て、段々と腑に落ちなくなってきたことがある。



何で無限師匠がこんな部屋(オンボロ学生寮)にいんの?



想像してみてほしい。無限師匠は究極の美だ。この世のありとあらゆる美が形になって服を着ているのが無限師匠だ。それがどうしてなんの因果で自分の部屋にいるのかがにわかに信じがたいという訳だ。
しかし現実には、“いる”。購入したからだ。自分の部屋の癖に現実感がまるでない。しかしクレジットカードの履歴にはきっちりと購入履歴があり(結構リアルな金額だ)、現実とは思えない美しさで佇んでいる。

思えば今、とんでもない世界線に迷い込んでしまった。お金を出せば無限師匠のフィギュアが買えて、外に出ると羅小黒戦記の映画がやっている。

そう、無限師匠がジャパン語をお話しになられているのだ。なんと宮野真守氏の声で。风息なんて櫻井孝宏さんだ。小黒なんて花澤香菜さんだ。
思えば3月、「無限師匠という美しい男がいるらしい」という情報だけ手にし向かった劇場で、美しい中国語を話す美しい男たちと可愛いネコチャンが織り成すこの映画に出会った。微笑ましくも悲壮でやるせない世界から数多の問いかけを授かり、それでも子供の健やかさをひたむきに祈る映画を見てから今まで、ずっと狂っていた。



なんかもう自分でもどこを目指しているのかわからない。色んなことを理解したいという一心でやるべきことを放棄してこんな事をしてしまっている。
コロナ自粛期間、時間があったのにも関わらず、論文も試験の勉強も一切せず、中国語の勉強をして、中国語のアニメを見ていた。


(※今激ハマりしている天官赐福という中国アニメだ。ワールドワイドキューティーとワールドワイドハンサムが出てくる)

中国語を勉強し始めたのは、羅小黒戦記のエンディングで「ちんちん」としか聞こえなかった自分が恥ずかしかったのと、来る次回作は絶対に本国で見たいからである。待ってられない映画がある。それが羅小黒戦記だ。
しかし、まさかこの8ヶ月間で吹き替え版が作成され、全国規模で公開されるなんて夢にも思わなかった。よもやよもやというわけだ。ひとえに製作スタッフさんの厚意、配給会社さんをはじめ、これを日本で多くの人に見てもらいたいという色んな方々の熱意のお陰である。小さな映画館から始まって、様々な人を魅了して口コミで少しずつ広がって今に至る、奇跡みたいな映画だ。多くの人に愛され、愛に応えてくれた映画だ。公式Twitterが中国語キャストさんのメッセージを届けてくれるたびに、涙腺が緩んでいる。

現在、細々と岩波新書のシリーズ中国の歴史を読んでいる。一巻の「はじめに」の章で、こんな言葉がある。「中国、中国史に対する日本人の、このような知的閉鎖状況を乗り越えていくことは容易なことではない」というものだ。エンターテイメントとはつくづく不思議だ。壁のようにも思えるものを、やすやすと乗り越える大きな力がある。知への架け橋となる大きな力だ。
今後も日本向けの展開があるなら、無駄な努力をしているのでは?と言われても、そんなことはないと断言する。中国語版は、見る機会があれば絶対に見てほしい魅力があるし、無限師匠の美にホイホイ釣られて大食い大会の選手のように手当たり次第詰め込もうとする中でも、得たものはたくさんある。
子供の健やかさを願う素敵な人々がいることを知った。海外のアニメ産業が大いに発展していることを知った。大陸にも、まだ見ぬ美しい男がたくさんいることを知った。ワールドワイドキューティーとワールドワイドハンサムがその筆頭である。

吹き替え版の嬉しい演出の一つは、字幕版のエンディングに訳文がついたことだ。そこには四年後の世界線で出会うまだ見ぬ登場人物が、映画本編の時間軸でどのように過ごしているかが描かれている。
そこで、小黒と暖かな友情で結ばれる少女・小白が友人に「運命のネコに出会うかも」と軽口を叩かれている。その言葉通り、未来で小白は小黒と運命の出会いを果たすのだ。
そして、小黒はいろんな人々の運命のネコになったのではないかと思う。羅小黒戦記を見て、翻訳機を使ったり勉強を頑張りながら本国の展開を追ってる人を多く見た。別の作品に触れて、海外の人とファン活動を楽しんでいる人もいる。わたしもそのうちの一人だ。それぞれ色々なきっかけはあるが、小黒は紛れもなくわたしの運命のネコだ。色んな人の運命を動かした羅小黒戦記という作品が、今も劇場で公開している。ぜひとも、劇場まで足を運んでほしい。先入観を捨てて、色んな人がこの作品と対話を楽しむのを願っている。

思えば無限師匠に引き寄せられなければ劇場に足を運ぶこともなかったのかと思うと、美しい男に目がなくて本当に良かったというものである。


東洋のモナ・リザだ

そんな無限師匠がいま、自分の部屋で立てば芍薬の如く鎮座している。この冬のマスト・バイ、羅小黒戦記のチケットと無限師匠のフィギュアです。後日発売の美・メン(美男)も絶対にマスト・バイです。

何でもするから羅小黒戦記の無限師匠を見てほしい


www.youtube.com


前置きをする時間も惜しいので本題から入ろうと思う。先日、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で審査委員会推薦作品にもなった羅小黒戦記をご存知だろうか。

更にもっと言うなら無限師匠をご存知だろうか。
トレンドにナウい方ならもうきっとご存知だろう。インターネットの重箱の端であるこんなブログを見てる人はいないと思うので、今回は一方的に羅小黒戦記と無限師匠がとんでもなかった話をさせてほしい。(※以下、軽いネタバレ注意)

何を隠そう、わたしは美しい男が何よりも好きだ。西に美しい男がいると聞けば行ってソシャゲをDLし、東に美しい少年がいると聞けば行って十二国記を3日で全巻読んだりする。多分前世は美しい男だけのタージ・マハルみたいなのを作って侍らしていた王侯貴族だ。
そんなわたしも、かねてより耳にしていた噂の美しい男の姿を、ついに拝むことが適ったのである。

この月をバックに佇む、富士額とデコルテが美しい青年こそ、無限師匠である。

必ずや映画館で無限師匠の姿を一目見んと、日々の苦節に耐えていたわけだが、上映が始まった瞬間、ある重大なことに気がついた。

なんと「無限師匠が美しい」という前情報しか知らないまま、劇場に来てしまったのである。

羅小黒戦記の時代背景や世界観、基本設定などを調べることを失念しており、煩悩に背中を押されるがまま映画館まで来てしまったわけだが、結論としては何ら問題はなかった。
なぜなら羅小黒戦記は最高だからだ。世界観は映画が進むにつれ自然に観客の頭に入ってくる脚本になっているし、そこに過不足はほとんどないと言っていい。
例えば冒頭のシーンだと、自然豊かな森に住んでいたはずの小黒が住処を追われ、人里を彷徨うことになった経緯や、一見小さな子猫の小黒が人智を超えた生き物であることが、語られるのではなくて見せられる。それが説明くさくなくて、非常にテンポが良いのだ。これが凡作であれば、15分くらい森での暮らしをナレーション付きで見せられていたかもしれないが、羅小黒戦記は違う。その15分を無限師匠と猫ちゃんの描写に費やしてくれるのである。羅小黒戦記は最高だからだ。

そして、無限師匠である。

わたしは羅小黒戦記のあらすじを、勝手に「強い人間に憧れる小さな猫チャン!果たしてこの猫チャンは憧れの師匠を超えることができるのか?!」みたいな感じだと思いこんでいた。実際は、小黒と無限師匠の初の邂逅は最悪としか言いようがない形で迎えてしまうことになる。
かくいうわたしも「美しい人、どうして…………」と戸惑っていたのだが、美しい人にも理由―ワケ―があるのだ。

無限師匠は最高だ。なぜならすごく強い。無限師匠にかかれば渾身のパンチも猫パンチだし、コンクリートは砂の城だし、なんなら空も飛ぶ。ちょっとの事では動じないし、人間の身でありながら妖精達から尊敬され、また恐れられている。
そんな無限師匠が更に最高な理由を、以下に示したい。

①びっくりした時に赤ちゃんになる

いつも冷静な無限師匠であるが、それでも驚いたり困惑した顔を見せたりする。ただそれが無限師匠の場合は赤ちゃんみたいな顔になるのだ。美しい横髪が顔の横で揺れており、狼狽することは滅多にない無限師匠が、赤ちゃんみたいな顔になっている。可愛くてシンプルに最高なんだよな。


②意外にドジっ子である

こんなに強くて美しいのに、方向音痴で料理が下手だ。でも味音痴ではないから、咀嚼しようとして一口噛んだものを口からポロっと落としてしまうのが赤ちゃんみが高い。お金を濡らして使えなくなってしまったり、スマホを水没させてしまったりする(多分機種はファーウェイだ。わたしもファーウェイのnova lite3を先月便器の中に落として一発お陀仏させたからわかる)。
そんな使い古されたドジっ子ネタで落ちるわけねえだろと高をくくっていると痛い目を見るだろう。なぜなら無限師匠は最高だからだ。


③美しい

無限師匠は美しいのだ。美しい男が美しい声で美しい中国語を話している。それだけで約束された勝利の美だ。
さらに無限師匠は美しいので、笛なんて楽器を吹いてみせたりする。月をバックに登場したかと思うと、風流まで解すらしい。さすが雪月花発祥の国だ。美を“理解”っている。
星降る夜の海で、夜風に吹かれながら笛を吹く無限師匠はもう、なんというかアジアンビューティーだ。わたしがアジエンスの社長なら無限師匠をグローバルアンバサダーに大プッシュしていた。
小黒は、無限師匠との一連のやり取りや、こういう穏やかな一面を見て、この人は本当に悪い人なのだろうかと、自分の認識に疑いを持つ。そこにほとんど言葉はいらず、自然で見事な人物描写だと思う。無限師匠は美しいが、口下手なのだ。

無限師匠はわたしに、美しいとはどういうことかを教えてくれた。美しいとは優しさであり、たおやかさであり、苛烈さであり、穏やかさであり、しなやかさであり、愛情深いことなのだ。そして愛とは、一緒にいたいと思う気持ちなのだ。



花の妖精だったのか?


ご覧の通り、無限師匠に心を乱されまくって大変なのだが、羅小黒戦記は他にも魅力的ものがたくさん詰まっている。
コミカルとシリアスの絶妙なバランスもそうだし、赤ちゃんみたいな無限師匠がカカオ30%のハイミルクチョコレートだとしたら、物語の主軸はカカオ80%くらいのビターチョコレートだ。今回は物語の核心に触れるのを避け、無限師匠にフォーカスを当ててしまったが、無限師匠と小黒の物語が美しい円環を描くのと同様に、諦観に満たされ、円環を結べず、どこにもいけない人もまた美しく、苦い。切なさや物悲しさが心の琴線に触れるどころがギターで掻き鳴らされるし、円がモチーフに劇中使われているように、無限師匠と小黒の物語は大きな円になって起点と終点を結ぶ。わたしは友達と観に行ったのだが、あと8億回見たいと思い、「次の回、24時からだけど見るよなァ?!!?!」と、生まれて初めて同じ日に2回同じ映画を見た。無限師匠が最高だったからだ。始発までカラオケで「一生一緒にいてくれや」を二人で歌った。一生一緒にいてほしかったからだ。
羅小黒戦記は魅力的なキャラクターしかいないので、願わくば明日から4クールの枠で放映されてほしいが、そう都合よく世界はできていない。
しかし、人里と共存してたフーシー一派の話とか、皆に受け入れられる前の無限師匠の話とか、激ツヨ美少年ナタ様の話とか、かわいいシュイちゃんのほのぼの話とかあるはずだしどこかで見たはずなのだ(キモオタ柱・キモの呼吸・幻覚)。
続きが超絶見たいし、聞くところによると元々動画サイトに投稿されたものであり、次回作も計画されていると聞く。歓喜すると同時に、乗り換えなければいけない自身の課題も浮上してきた。

言語である。

ついにわたしの中で、萌のために英語以外の外国語を習得するという契機が訪れてしまった。なぜなら、中国語ができた方が、本国のファンアートや刊行されてる書籍を楽しめるかもしれないのだ。少しだけ検索してみたが、中国語がわからないので悔しい思いをした。世の中の、日本の漫画やファンアートが好きな外国の方は、こういうフラストレーションを抱えている人もいるのかなと思った。
出来心で「無限師匠 美しい」「ムゲン師匠 美しい」とTwitterを検索してみたら、わたしが単に検索下手なのかもしれないが、あまりヒットしなくて悲しかった。これも然るべき言語と然るべき方法で検索したらもっと情報を得られるのかも知らない。
また、字幕のこともある。外国の映画を見るときに、字幕は大きな役割を果たす。例えば、無限師匠がぶっきらぼうに見えてそうではないのかもと思うのは、言動に加え字幕の「おいで」「大丈夫」「いいよ」や、名前を呼ばれたときに「はい」と答えるとった柔らかなニュアンスの母国語でも判断したからだ。これらのセリフが本当はどんなニュアンスなのか、分かったほうが二倍楽しいかもしれない。自分は気になります、なぜならオタクだから。
これは余談だが、エンドロールのかわいい歌で「ちんちん」と聞こえる単語が繰り返されており、とても良い余韻に浸ってるのに涙が出るまで笑いを堪える事態となり、知性が完全に負けて愚かで悔しかった。後日、フォロワァさんから「静かに、そっとみたいな意味があります……」と美しい意味を教えてもらい、わたしは自分の不見識を心から恥じた。
十年前、中国に修学旅行に行った際に、北京の学校を訪れたことを思い出す。学生の皆は図画の時間に日本のキャラクターを描き、こちらの付け焼き刃の中国語を使う間もなく流暢な日本語で話してくれていた。
母国語に甘んじられる時代はもうとっくの昔に終わっていたが、ついに身に滲みて実感する時が来た。ただそれだけのことである。

羅小黒戦記をまだ見ていない人は、劇場へ観に行って欲しいが、どうにも先の見えない問題で気軽に人様にGOと言える雰囲気ではないのは重々承知である。休館中の映画館もちらほら見かける昨今だ。
かくいうわたしも、心から楽しみにしていたTHE IDOLM@STER SideMのプロデューサーミーティングに現地参加する予定が、残念ながら中止となってしまった。
そのために10月から約5ヶ月の間、実習やらテスト勉強に追われ夜12時過ぎまで勉強や作業をする生活を頑張っていたのに、泣くほど落胆した。同じような境遇の人は数多にいらっしゃるし、演者、関係者の方々の気持ちを思うと、到底計り知れない。何より、人々の楽しみを支えるものを生業にしている方のことを思うと、心配という言葉では到底表せられない。
娯楽とは、人々が生きるための力であり、希望であり、善く生きるための指標であり、知との遭遇であり、人の生活に欠かせないものである。
娯楽に限った話ではないし、言っても言い切れないのでこれ以上述べるのは避けるが、美味しいものをたくさん食べて、よく寝て、温かいお風呂に入って、好きなものを見て乗り切りたい。

b23.tv

ちなみに無限師匠の「おやすみミャオ」という、アイジャヨ=ダンブルドアでも大声を出して暴れたくなるようなお歌のサビ部分を、二回繰り返したら約20秒だ。手洗いうがいでも最高になれる。ありがとう、ビッグラブ。ありがとう、無限師匠。

アイドル達との315な日々

Twitterの文字数では情熱が募るばかりなのでついにブログにまで書いてしまった。
そう、

THE IDOLM@STER SideMである。

どうでもいいことだが、わたしは長年キャラソン的なものに気恥ずかしさを抱いていた。脳内のキャラ像をリアルに結びつける能力が低いのである。オタクとしての経験値が浅いので、声優さんのライブやイベントというものにもあまり馴染みがない。うずまきナルトの竹内順子さんのサイン会に赴いたのがやっとである。

そのため、友人である神速一魂のプロデューサー(神速一魂の二人からは番長さんではなく“お嬢”と呼ばれている)に借りたSideMのアニメはハッピーになれるシャブとしてハイになったものの、ライブDVD鑑賞に誘われたときは楽しみ半分不安半分であった。

結果として未知への不安は爆散した。

ジャンカラに持ち込まれたDVDとサイリウム、「おじさんはサイリウム初心者だから初めは一本ね」と渡された光る棒。サイリウムなんてBORUTO応援上映でしか使ったことがない。未知への不安。リズムに合わせて最低限振るのがやっとである。横をみると絶えずコールを送り光る棒を振るお嬢。わたしはカラオケのワンルームで行われる狂宴に、とんでもねえ所に来ちまったと、戸惑うしかなかった。
また、長年キモブおじさんとして生きてきたため、嫌悪と侮蔑の表情を向けられることには慣れているが微笑みかけられることに慣れていない。こんなときどういう顔をしていいのかわからない。
最後のパフォーマンスで「せーのっ!」とマイクを向けられても何をしていいのか全くわからない。お嬢は「ひろひろだよ~~~~」「DRIVE A LIVE!!!」と完璧な一方でわたしはおろおろするばかりだった。

しかし、繰り広げられるパフォーマンスが想像していた何倍も素晴らしいものであることは初見でもわかった。まずお歌が上手い。べらぼうにお上手でいらっしゃる。
わたしが見たのはGREETING TOUR 2017 BEYOND THE DREAMだったが、合間合間に寸劇を挟み、演技もしながら歌って踊るのである。すごい。小学生の頃キャンプファイヤーダンスで「アブラハムには七人の子」で手も足も出なかったわたしには考えられない偉業だ。毎日一体どんな練習をして過ごしているのか。
多種多様なアイドルユニットが存在しているにも関わらず、何一つ似通ったキャラクターや楽曲はなく、315プロダクションに所属しているアイドルユニットとしてパフォーマンスしているのである。神速一魂のお二人なんてもう動く神速一魂だ。わたしはこの時、確かに“アイドル”のライブを“浴びた”のである。

ツアー観賞も三回目になろう頃には両手にサイリウムを持ち振りまくっていた。アイドル達がウインクを飛ばしてくれたら歓声を上げたしライブの最後に「せーのっ!」とマイクを向けられたら「DRIVE A LIVE!!!!」と応えることができた。正真正銘プロデューサ ーが誕生したというわけである。

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誰も聞いちゃいないだろうが、ここでSideMが特に素晴らしいと思った点を三点挙げたいと思う。



①多様なキャラクターによる多様な楽曲

SideMに登場するアイドル達の年齢層は幅広い。魅惑のショタから魅惑の30代まであり、バックボーンも元医者から元ヤンキーと様々であり、それぞれが時にデュエットすることでよりバラエティに富んだ楽曲を楽しむことができる。

ここでは更なる沼に沈むことになったDRAMATIC STARSについて少し言及したい。
彼らも少し高めの年齢設定だが、SideMの看板ユニットの一つとして王道感ある爽やかなパフォーマンスをしてくれる。
そしてまた、そんな印象をガラリと変えてくれるのもSideMの魅力である。

「新規はこれで殴れ」という呼び声高い「MOON NIGHTのせいにして」を聴いてもらいたい。
このユニットは先程まで男子高生ユニットとお星さまのキラキラした歌を歌い、星座を描こう等と爽やかな歌も歌うのである。

ところがどうした。いきなり月夜の魔法で「まさに奪うけどいいかな」等と言ってくるのである。先日まで弁護士として法廷に立っていた熱血漢が、普段ぽやぽやしたくいしいぼうさんの元パイロットが、普段堅物すぎるきらいがあるクールな元医者が、トランペットが高らかに鳴るなか大人にしか歌えない歌を歌うのだ(いいわけないだろ)。もう一体どうしたどうした。これには成す術がなかった。オタクはギャップには滅法弱い。気付いたときには“MOON NIGHTのせい”にしていた。先輩プロデューサー達の思う壺で悔しさもあるが、しかしこれはもう仕方がないことなのである。
ライブ映像では生演出ならではの熱狂と、アイドルたちに“をとめ”にされた男女達の歓声もあり、中毒性がさらに増す仕様になっている。わたしはこのMOON NIGHTのせいにしてを一緒に見てくれるためなら靴を舐めるのも辞さない所存だ。これもぜんぶ月夜とSideMの多様さがなせる技である。



②ハチャメチャに元気をもらえるキャラクター達

先にも少し述べたようにSideMは多様なバックボーンを持ったアイドル達によって構成されている。
そのなかでも最も高い平均年齢なのが元教師ユニット、S.E.Mである。

S.E.Mは元数学・化学・英語教師が生徒を導くためにアイドルに転向したのだが、この歳になるともうこの設定だけで元気をもらえるのである。数学教師の硲先生は32歳にも関わらずアイドルを目指し、最年少の舞田先生は23歳と10歳近く歳の差があるにも関わらず、山下先生と共に教師を辞める。恐らく就職して間もなかっただろうに。

誰かを応援するためにこれまでのキャリアと全く方向性の違うものにチャレンジする。例え二次元でもそういう存在がいてくれると思うだけで、急に一人でアメリカに行けと言われても大丈夫な自信がある。もしわたしがもっと早くS.E.Mに出会ってたら中学生の時に数学で9点なんか取っていなかっただろう。
恐らく、生きていたら今までの自分の経験が及ばないことに直面することもある。しかし恐れるものはなにもない。なぜならもうわたしの心のなかにはS.E.MとSideMがあるからだ。


③推しの話を聞いてくれ

基本的にSideMは皆素晴らしいため箱推しだが、「このユニットを前にすると君たちのことしか考えられない」という気持ちでいっぱいになる二人が存在する。

Altessimoである。
このおかっぱ美少年・神楽麗に限ってはSideMを吸う前から美少年ソムリエとしてツバをつけていた。
わたしの審美眼は間違っていなかったものの、神楽麗の真の魅力に関して到底わかっちゃいなかった。
都築圭と神楽麗、一見叶姉妹のような感じなのかと思いきや自分よりずっと年上の都築圭のお世話を焼く神楽麗が何を体現しているかおわかりだろうか?


可愛さだ。


年上に甲斐甲斐しくお世話を焼く麗の可愛さはさながら神の祝福だが、時には年上としてアドバイスをする都築圭もまた同様に尊い。もう存在が芸術である。なんかもう、表す語彙が失われるくらい可愛い。とにかくメッチャ可愛いのである。

そして歌声のバランスが素晴らしい。ちょっと拙い雰囲気を感じさせる(歌はもちろんお上手)麗の声と巧みさに満ちた圭の声が合わさることで絶妙なハーモニーが生まれるのである。
代表曲、The 1st Movementは後半にいくにつれどんどん二人のハーモニーが高まっていくので、Altessimoを浴びてくれるためならわたしは靴を舐めるのも辞さない所存だ。あなたがもし、誰かに靴を舐めて欲しくなったときはぜひ声をかけてほしいし、そんなことがなくてもAltessimoを聴いてほしい。

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ここまでSideMについて語ってきたが、SideMに限らずもしかしたらこれまでの人生にも、根拠のない苦手意識によって自ら遠ざけてしまった素晴らしいものがあるかもしれない。しかし、これからはきっと未知のものでも進んで触れていき、この世の素晴らしいものに触れていくことができるだろう。そう、わたしにはアイドル達と熱狂した時間の記憶があるからだ。百億光年の孤独は最早ここにはない。なぜなら「一緒に行こう」と言ってくれるアイドル達と共にあるからである。
ありがとう、アイドル達。
ありがとう、制作に関わった全ての方々。
ありがとう、先輩プロデューサーの方々。
ありがとう、THE IDOLM@STER SideM