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ラ・ラ・ランドを見ました

ウメガスです。映画や観劇用のブログを作成しました。
一番初めの感想は、ラ・ラ・ランドにしたいと思います。ネタバレもします。
さて、私はミュージカル映画がとても好きです。能の経験も助長しているのか、人間とは喜びの歌を歌い心が舞い上がるときは踊り出すものだという考えが根底にあります。
そんな個人的な背景もありつつ、このラ・ラ・ランドは心の琴線にダイレクトアタックしてくるたまらない映画でありました。

このラ・ラ・ランド、公開され一ヶ月が経とうとしておりますが、周りを見るとどうも評価がが極端に別れているなという印象を受けます。
最高だったという感想と、思ったよりダンスやミュージカルがない・共感ができない・ミアとセブに別れてほしくなかったという意見を多く見ました。
これらに関しては「めっちゃわかる」としか言えません。あんなにPVで大勢のダンサーが歌って踊ってたら10分に一回は歌い出すのかとイメージしてしまいます。
ところがどっといこの映画、歌詞付きの曲は作中7曲と、ミュージカル映画では極端に短い部類に入るのではと思います。
思ってたより静かで湿っぽい、このギャップは多くの人が抱いたのではないでしょうか。

共感や結末に関しては、こればっかりは映画との波長が合うか合わないかだと思います。我々観客が映画に求めるものと、映画が我々に与えてくれるもの、これが一致すればこの上なく幸福な「映画の出会い」になるでしょう。(この合致の瞬間がドーパミンがドバドバ出て興奮してハイな気分になれるので映画はやめられない娯楽ですね。)

合致しなかったという方々の意見もめっちゃわかると思いつつ、なぜか私は全てがこの映画にいい作用をもたらしているなと感じました。

この映画、少くとも日本では「夢追い人に捧げる」と銘だっていながらも、どうも映画全体が目指している方向のほとんどが過去にあると思います。
ミアは最終的には夢だったハリウッドスターになりますが、オーディションをきっかけに成功を重ねた姿はほとんど描かれません。恋人のセブが音楽で活動することをどうも心から手放しで応援することができず、共に夢を叶えるんじゃなかったのかとこちらがもやもやすることも。
セブ、本人にも葛藤があったと思いますが結果的に言うと夢を叶えるのにかなり効果的なプロセスを踏んでいたと思います。世間的には古くさく流行らないと言われるジャズを、ただやるだけでは人は聞かない。ある程度音楽人として注目を集めてから「実はジャズ好きでジャズもいいからまた聞いてやで」とうまくアピールできたのでは。
セブは意識せずとも気長に、戦略的に事を進めることができましたが、ミアは結果を早く求めすぎたきらいがあります。
私を放っておいてなんだそれは、音楽活動に勤しんでると思いライブに行ってみたらなんだその音楽は、私を支えてくれないのか、ジャズやるんじゃなかったのかと。言ったらなんですが普通の人が考えそうな一般的女性像な一面が目立ちますね。ここでもう共感できない人は多いと思います。私も(これが男女の差ってやつか………)等と考えてました。
ミアは劇中の歌詞を借りるなら、あのオーディションまで「ready to be found」が出来ていなかった女性だと思います。見出だされる準備が出来てたようで出来ていかなかった。愚かに見えても何度でもまたやろう、叔母のように。あの静かな盛り上がりを見せるオーディションで初めて、私はミアに心を寄せることが出来ました。

いまいちこの作品から「未来に向かってgogo」という元気をもらえる印象にない理由に、先ほど過去に向かっているからだと申しました。
この映画の「夢」とはなにか。わたしは「過去への郷愁」と「死んだはずの可能性」だと思いました。
過去への郷愁とはなにか、再開した二人の走馬灯のように廻る瞬間的な時間ももちろんそうなのですが。
アメリカのミュージカル映画は「雨に唄えば」や「巴里のアメリカ人」など映画界で今も不動の名作に位置付けられています。アメリカのミュージカル映画、タップダンスがあってジャズ調でどこか懐かしいメロディーで………。業界時事情にはあまり詳しくないのですが、そんなアメリカ発のミュージカルは、一時期泣かず飛ばずだったそうです。
ブロードウェイミュージカルもロンドン発の作品ばかりで低迷期が続き、かつての姿はどこへという時期もあったようです。
(「RENT」というミュージカルに「犬のエビータがやかましくて仕方ない」という一節があります:「エビータ」はイギリスのミュージカル巨匠、アンドルー・ロイド・ウェバー作)

そんななか、このラ・ラ・ランドは多くの名作のオマージュが作品の随所で見られ、ロサンゼルスの定番デートスポットを登場させるなど、見てわかる人の郷愁を大きく誘います。この郷愁を抱く人の割合は日本とアメリカでは大きく異なるのではないでしょうか。
ロサンゼルスの人々は自分達がかつてデートをした場所で、こうしてこの二人が想いを通じ合うだけで共感のハードルがぐっと下がる。過ぎ去った日々への郷愁でもう大変なことになる。ちょっと羨ましいですね。幸い私はオマージュのところでキャッチできました。
観客に訴えるものが過去名作のオマージュであったり過日であったり、この映画の過去に向いている感はこんなところです。

ラ・ラ・ランドの見所は言わずもがな、最後の10分です。
もしこうしていたら、もしああだったら、もし、もし………という長い間眠っていた無限のIFが、再開した瞬間に激しい奔流となって走り出すのは圧巻の一言です。
私達は人生のなかで無限の選択をし、選ばなかった無限の選択肢を殺して生きています。
もしあの時、二人の時間をもう少し優先していたら、もしパリまで一緒に飛び出す勇気があったなら。ひとつのキスで変わっていたかもしれない可能性は、本来なら忘れ去られるところを、この映画は命を与えてくれました。尋常じゃない過去への郷愁です。
無限の殺された可能性をつなぎ、国まで抜け出した彼らは、どこかでまた歌って踊って元気にしているのだと思います。可能性が自由で過去のどこかで輝いていると思えば、全てに折り合いを付け生きることができます。可能性が本当だったら良かったのにと思うか、安心してこれからも選択をして生きられる力を得るかは本当に人それぞれだと思います。
ただこの映画がどこまでも過去にベクトルが向いている以上、このラスト以外は初めから考られなかったのでしょう。
過去の名作の今も光るきらめきに後押しされ、郷愁の激流にのまれ、どこかに行ってしまった可能性に狂おしいほどのいとおしさを抱いたのでした。

散々過去に向いてると言っておきながらも、この作品が名作に未来に向かっている点もあります。
かつての名作のオマージュを多々取り入れた映画、それでも目まぐるしいカメラワークやあの監督独特の盛り上がりとセリフのない音楽の特別な瞬間は、革命的だなと思いました。
そして今でこそオマージュも入れた映画ですが、きっとこのラ・ラ・ランドもまた、人々に長く愛され欠かさぬ存在になり、映画のうつわとしてあり続けるだろうという確信があります。
その瞬間を見ることができたことの喜び、生きることへの喜びが止まりません。この作品が長らく人に愛され、輝く星になることを願ってやみません。

あと2回は見に行きたい、そんな感想でした。